花芯

瀬戸内寂聴さんをなぜ世間がありがたがるのかはイマイチ分かりませんが、良いお年寄り・出家した人・更正した人のことは有り難がった方が良いという何となく風潮の後押しがあるのだと思う。私もただ漠然と波瀾万丈な人生を歩まれて現在に至る素敵な方なのだなあ、と思っています。あと、私が通った大学の学長(「女性の品格」を書いた人)と顔がとても似ている…。

 

無名時代の瀬戸内寂聴さんの小説作品発表から59年経ち、2016年に映画化された「花芯」。

小説発表当時はエロ小説、子宮作家と言われ、暫く沈黙をすることとなったとか。

映画と小説は同じ話であり、全く違う表現でもあり、とりあえず両方を見るのがおすすめです。

 

「子宮」という言葉が頻出することで良い印象を持たれなかったようですが、私は全く逆だと思います。部位を表す他の言葉を用いるよりも、「子宮」という言葉を使うことで、、身体全てや人生や生命についての様々な一言では言い切れない不思議さ奥深さやるせなさが伝わってきました。

行為についてではなく、一人の女の生き様を描いているので「子宮」という言葉がしっくり来るのだと思いました。

 

子宮という言葉に何の批判が集まるのでしょうか。当たり前ですが、子宮は娼婦以外のすべての女にもついています。一人で生きていくことを選ぶ女性も、普通の幸せを築く女性も、月に一度月経と向き合います。

私はめちゃくちゃ重い方なので、月経前は精神的に不安定になるし、始まるとあまりの痛みで、今日も仕事に支障があったし2日間ろくに眠れていません。

 

この物語の主人公は、美貌を持ち官能を匂わせる、最終的には娼婦となる女性。性に奔放なあまり、性に対して冷めているような女性。

「好きでもない人とでもこうなのなら、好きな人とならどうなっちゃうのかしら」なんて台詞を夫に吐いて、結局好きな人とは一度めの行為でこんなものかと、恋ごころを無くしてしまいます。

裸での演技はいつも少し、どこかつまらなそうにしているところが魅力的です。

台本にも行為中のところに「鼻をかく」との指示がされていたそうです。

 

 

したたかな女の人の話、私は好きです。

他作品だと、特に、島田雅彦作「傾国子女」は、私が一番好きな本の一つです。