my sanctuary

西の魔女が死んだ

映画を見た。映画を見ている間、私も西の魔女=おばあちゃんの家で魔女修行をしている気持ちだった。物語の世界の豊かでどこか異国情緒溢れる生活に憧れて、少し高級な紅茶に、美味しいアップルジャムを溶かしながら。

 

主人公“まい”と私達にとって、西の魔女との生活は、安らぎの場であり、成長の場であり、非現実的な場所である。私は約2時間、魔女に様々なことを教わった。

 

本で読んだのは、この作品が流行ったときだから、映画が公開された時、13歳の時かもしれない。母の読了後に読んだ。当時素敵な物語だと思った記憶はあるけれどそれより、「これをなぜ私の母は薦めてきたのか」が気になった。この、私の家族の生活に無い、私が憧れている繊細さや優しさとの暮らしを描いている本を、なぜ私の家族が平気で私に薦めてくるのだ、と思った。 

 

主人公の女の子まいが「私が学校に行かない理由をお父さんはなぜ聞いてこないの?そういえばお母さんも、おばあちゃんも聞いてこない」と言うと、おばあちゃんは「皆、まいを信頼しているから。まいが行かないと言うのには、それなりの理由があるのだと思うから。」と答える。このシーンが特に羨ましかった。

私が学校に行きたくないと言った時、母はわがままだと怒った。「娘は学校に行きたくないといっているので遅刻しますが、次の授業までには必ず行かせます」と学校に電話されたこともあった。

 

 

私がいつかこの物語を娘に薦めたら、私の娘はどんな感想を持つだろう。

私もきっと、どんなに気を付けようが、子に悲しみを与えない親にはなれない。そんな親は存在しない。私もきっといつか子を傷付けたり落ち込ませたりしてしまう。 

悲しみを作らないことが出来ないならせめて、美しさを増やしたり、大切にしたりするのがいい。私たちが持っている美しさを大切に、私たちの暮らしが美しくなるといい。